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【絆 Vol.13 OBインタビュー第38代理事長 安里繁信先輩】

こんにちは!
那覇JCでは、歴代理事長の先輩方に対して、JCで学んだことや現会員に伝えたいことなどをインタビューさせて頂きました。
貴重なお時間を頂いてインタビューしましたので是非お読みください。
今回は、第38代(2000年度)理事長であった、安里繫信先輩にインタビューさせて頂きました。

当時29歳で那覇青年会議所史上最年少の理事長に就任されましたが、当時はどんな心境で役を引き受けましたか?

元々僕はその年に理事長に就任するつもりじゃなかったんです。

僕はそもそもLOMで委員長も経験していなくて。もちろん副理事長も、室長というポジションも未経験。という感じだったんですけれども、ご縁があって。

ただ、イレギュラーな経歴ですが、日本青年会議所で史上最年少で委員長っていうのをやらせてもらいました。

そして、27歳で全国大会運営会議っていうところの副議長をやらなければいけなくなりました。

その後、翌年に法相委員会の委員長を28歳で引き受けることになりまして。

JCって、『本命』って言われるような人が毎年出るんです。

例えば、「この人が今年はなるだろうな」みたいな感じなんですが、その本命が、土壇場で就任しない。こととなりました。そこから様々な事が起きるわけですが、、、当時の僕らのちょっと上の世代の先輩方が突然僕を担いだわけ。

そして、周りの仲間の支援あって、29歳の歳に理事長に就任することになったわけです。

引き受けた時には、日本青年会議所で最年少の委員長をさせてもらったのであまり怖いものは無かったし、今こんなに謙虚になってますけど・・・あの頃はもう、強いの、偉いの、年上に噛みつくの、が僕の本望だったんで、周りが大変だったと思います笑

でも引き受けることに対して不安はなかったです。

質問: 「理事長就任時は、どのような組織を目指し、どのような思いで活動したか」

あの頃は、那覇青年会議所だけじゃなくて、沖縄のJCっていうのはどちらかというと、全国から見るとレベルが低い見られ方をされていたんです。

だから少なからずとも、僕らの世代だけは、『同じ世代と対等に渡っていける人材を作ろう。』というのが、僕らの世代のミッションだったんですよ。
だから、どんな大企業だろうがなんだろうが、大きなLOMだろうが(名古屋、東京、大阪のような大規模なところ)に対等に渡っていけるだけの人間を作らんといかんし、スキルを作らんといかん。プレゼンテーション能力も必要だ。スピーチも立派なものをしなければいけない。

なので、沖縄の会員皆で、そういうものを乗り越えていけるような組織体制を作ろうということで、まずは、議案の中身から、上程の仕方等を全て変えて・・・

できるだけ緊張感のある組織を作ることを前提に、ゼロベースで改革をしました。

社団法人日本青年会議所の第58代会頭として沖縄県から初の「会頭」として就任しております。沖縄・日本全体の青年会議所のトップとして統括するべく、当時は様々な経験をされたと思います。どのような思いで活動していたか教えていただけますか。

これも僕は、会頭を狙って取りに行ったわけじゃないんです。

全国大会運営会議も経験してきましたし、沖縄で全国大会やるっ!てことだったので、僕は単に地元で最後の年を終えたかった。だから『実行委員長』か何かやりたいな。と思ってたら、後輩たちが手を上げて僕らがやります!みたいな感じになっちゃったので、やれる役職がなかったんです。

一方日本青年会議所で僕は副会頭を経験していたので、それ以上の役職となると会頭以外やることがなくなったんですよ。

会頭っていうのは『今後の日本を背負うようなサラブレットと言われるような人物』が選任されることが多いんです。

ところが、ここも僕に立候補して欲しいという声が上がりました。本当に当時の話を語ると色々ありましたが、結果的に僕が承認いただけることになったんです。

全国大会の開催年と会頭が重なるっていうのは過去に僕の前に一回しかなくて、50何年60何年近い歴史の中では僕は二番目です。だから自由にやれたし、僕にはシナリオがないのでシナリオのない一年間を過ごさせてもらったかなと思います。

安里先輩の「優しくあるために強くなる」という言葉ですが、この強いメッセージにはどんな思いが込められているのでしょうか?

力の無い者の優しさは継続できません。社員に優しくしたい。家族に優しくしたい。あるいは仲間たちに優しくしたい。社会に優しくしたい。そのために必要なのは力です。

だから自分自身がいろんな意味で、『強くならんといかん』と思ったわけです。

会社も大きくしなきゃいかんし、自分の胆力も強くしなきゃいかんし、この強さというものがあって初めて優しさを継続できる!と思いました。

これは別にJCの為のスローガンではなくて、僕の生きていく上でのミッションです。

この軸を大切に、会社も、社会との向き合い方も青年会議所の活動もやってこれたんだと思います。

質問: 「JC時代で学んだことや、JCで培ったスキルが本業でどう活かされたか」

僕の会頭所信にも書いたんですけども、僕の人生において青年会議所活動っていうのは全てじゃないんですよ。だけど、JCと出会わなかったら今の全てがない。それを言い切れるだけの学びがありました。

ただ100人いたら100通りの感覚があって、僕は金がない中でスタートしていった人間だから、手ぶらで帰りたくなかった。とにかく執念持ってやってましたよ。


周りを見渡したら留学経験のあるサラブレットがたくさんいる訳じゃないですか。

当時の俺は、見返してやるっていう反骨心とまだ成り上がりの根性で、会議とか正しい日本語の話し方まで、ここ(青年会議所)で学んだと思います。


一番の肥やしは何かというと、良いサンプルと悪いサンプルが生で知れるということです。もちろんマニュアルはありません。こうやったら信用を失うんだなとか、メールも返さない、折り返し電話もない。無断欠勤する。約束守らない。裏切る・・・等いろんな人間模様が見えるんですよ。

だから僕が今ちゃんとお付き合いしてる人間は、ちゃんとした素敵な方だと思っています。青年会議所で出会ってちゃんとしてない人間とは一切付き合わない。仕事も同じだから。だから人間サンプルを見るんだったら青年会議所は上等なんだよ。お金にはしっぽを振るけど、お金がなかったらしっぽ振らな人間っていうのは大概底が見えてる。仕事だろうがプライベートだろうがこういう公職だろうが、すべてやっぱり良いサンプルと悪いサンプルから学ぶことは多いよ。特に悪い人から最高に学べる。会社潰していった先輩方もたくさん見てきた。一番勉強になる。

質問: 「現会員・新入会員へ伝えたいこと」

僕はもう52歳になって、皆さん方からするとお父さん世代になるのかと思うんですけど、もう一回20代には戻りたくないです。戻って今みたいな結果を残せる自信がないです。

同じ難儀をしても結果を残せる自信がないぐらい面白い人生過ごしてきたなと思ってるし、これからも益々そんな感覚で生きていくつもりではいるんだけれども、仮にもう一回20代に戻るとすると、迷わず青年会議所には行くね。一番勉強できる。

僕からすると、思い出を作った時間ではなくて、未来を作った時間だったと今は思います。