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【絆 Vol.9 OBインタビュー第49代理事長 大城博立先輩】

こんにちは!
那覇JCでは、歴代理事長の先輩方に対して、JCで学んだことや現会員に伝えたいことなどをインタビューさせて頂きました。
貴重なお時間を頂いてインタビューしましたので是非お読みください。
今回は、第49代(2011年度)理事長であった、大城博立先輩にインタビューさせて頂きました。

質問: 「JC時代で学んだことや、JCで培ったスキルが本業でどう活かされたか」

『JCで学んだこと』は、やはり組織運営や上下関係ですね。
今の本業においてももちろん、例えば従業員に先輩がいたり後輩もいますけれども、職員への指示の出し方であったりとか、組織を運営していくためのノウハウをものすごくJCで学んだことではないかなと思っています。
特にJCは、”明るい豊かな社会の実現”ということで、地域貢献や地域活性化のための事業をします。


本業であるモータースポーツ業界でも、二輪、四輪のモータースポーツを通して、地域を活性していこうとしたり、モータースポーツを通して『沖縄から全世界に通用するモータースポーツのプロの選手を育成』していくための、運営の方で活かされました。

質問: 「JC活動において、一番心に残る思い出」

話せばキリがないぐらい心に残るのはいっぱいあります。
我々の時代は全国大会の誘致から開催まで経験しました。

2004年、一番最初に全国大会について勉強するために、日本JCへ出向し、多くを学び、そこから2009年の全国大会の開催に関わりました。
今振り返ると5年ぐらいずっと日本JCに出向してましたし、日本JCではものすごく叩かれて涙流すぐらい辛い思いもしました。自分がこれまで学歴がなかったので、いろんな意味で対等に戦っていかないといけないと感じていました。
いつも意見が通らなかったし、そういったことを思い出すと、やっぱり、こういう苦い経験が自分にとってものすごく勉強になったのが、『JC』だったかなーって思いますね。


全国大会で僕はおかげさまで実行委員長もさせて頂いて、いろんな経験をさせて頂きました。大会期間中はいろんなことがあり、問題が山積するんですけども、大会終了後も一週間ぐらい事務局も開けてましたが、沖縄大会では大会が終わってからも一つのクレームも入らず終えたって言うのはものすごく安心でしたね。

全国のメンバーに対して、何も問題がなく大会を開催出来たという結果を残せたことは、ものすごい意義のある大会だったと思います。
沖縄大会っていうのはこれまでの大会と違って、58回の大会の歴史上、初めて『屋外で開催式典』を開催したんです。日本青年会議所の理事会でも、屋外式典については本当にいろいろな意見が出てましたね。

「これまでの統計上、雨は降りません。」ということを言い続けてなんとか開催しました。

しかし、開催日の初日の天候は雨で、完全にスタートから雨で、平和公園でウェルカムとか色々やったんですけど、平和記念公園も滝の流れるような雨でした。でも開催一時間前くらいから天気がガラッと変わって、晴れになって成功しました。
懇親会でも雨が降ってて大降りだったんだけれども、何とか小雨で収まり、問題なく屋外で開催できました。

大会が終わって10年以上なるんですけども、全国のメンバーに人数が少ない青年会議所でも全国会員大会を自分の地域で開催できるっていう勇気と希望を与えられた大会であったのかなって思います。

質問: 「理事長就任時は、どのような組織を目指し、どのような思いで活動したか」

私は全国会員大会の秋の理事長でしたので、やりたいことはものすごいいっぱいありました。全国大会は、ゆいまーるというキーワードで開催しましたが、また、沖縄って言うの場所は唯一地上戦経験した場所であります。なので、『平和』というキーワードも大切にしたくて、平和に関するシンポジウムを開催する予定でした。広島や長崎で沖縄の高校生のメイン事業としてシンポジウムをして高校生のメッセージを碑に刻むというメイン事業を進めていました。
すると、沖縄の高校生の平和サミットみたいなのをやるらしいと聞きつけた、愛知県豊橋からも連絡があって、「実は皆さんに知られてないですけど、豊橋も戦争で悲惨な目に遭っている地域なんです。なので一緒にやりましょう」となり、京都会議で中身を詰めながらどんどん話を詰めてね。

そのサミット自体が8月9月ぐらいに予定していたんですが。

企画を起こしていた年の3月に東日本大震災があって。


ここから完全に計画を変更し、全ての事業を中止しました。

瞬時に計画を切り替えて、被災地支援を行いました。

沖縄地区協議会から先頭に立って陸前高田に向かって行ったんですけど、もう当時は本当に何もなかったですね。
まずはボランティアセンターから作らないと何も進まないということで、、、

とにかく何をするにも資金が必要だということだけは明白だったんですが、地区協議会にお金はありませんでした。どうにかこうにか資金を調達することができたので、正式に地区から何人かを派遣して、ボランティアセンターを作りました。とにかく被災地の方のために支援をせずにはいられないそんな年でした。

質問: 「貴方にとって、JCとはどんな場所ですか」

自分磨きの場所だなと思います。

商工会とかいろんな経済団体の経験をしているんですが、JCっていう学び舎は、自分を鍛える場所であったり、人脈を作る場所だと思います。
自分の人生の中で僕も14年~15年ぐらいJCをしたんですが、何の一つも後悔がないし、やってよかったなと思います。やったらやった分全部自分に跳ね返って来たし、今も本業だけにとらわれないでいろんなことにもチャレンジできてるのもそのお陰かなと。
だからチャレンジ精神教えてくれたのもJCだし、学歴がない僕でも、堂々と「最終学歴はJCだ!」って言えるぐらいJCでいろんなことを教わりました。
事業計画の書き方とか予算決算の仕方など、やらないといけないことは知ってはいたけれども、税理士に任せて、自分は見方がわからない言う感じでしたが、JCの経験を通してそういうのも全部わかってきます。

僕らの時って120名ぐらい会員が居たと思いますが、先輩たちの時には250名程いたということも聞いたことがあり居ます。少子高齢の関係もあって今は会員が50~60名って聞いてるんだけど、せっかくJCに入ってるわけだし、理事長も一会員も入会費はみんな一緒だから、せっかく入会したんだったらやっぱり理事長目指すぐらいとは言わなくても、そこを目標に歩んでいくのも、また得ることも多いと思います。
あとはJCだと、なかなか会えない人にも、会社の名刺では会えないけど、JCの名刺では会えるという事もあります。
JCの名刺だったらどんどんどこにでも行けるけど、会社の名刺で行ったら門前払いですからね。もう間違いなく「何しに来た?営業しに来たんだろ?帰れ!」みたいな感じですから、JCの時って本当に怖いものなかったし、ガンガンどこにも行けましたね。
JCっていう組織は世界にある組織ですからね。すごい組織だと思います。
僕の息子はまだ27歳なんですが、30歳くらいになったら絶対JCは二人とも行かせて、僕と同じように学んでもらえたらいいなと思ってるぐらい私は素晴らしい組織だと思っています。

質問: 「現会員・新入会員へ伝えたいこと」

自分のできる幅っていうのかな?この幅をちょっとだけ無理してでも広げて欲しいです。

せっかく入会してるわけだし、しかも40歳までっていう限られた時間なので、この幅をちょっと広げて、無理してでもやる価値があると思います。

あの時にがむしゃらにやったから私は、今があるので、ぜひ会員の皆さんにはやるんだったら真剣にとことん中途半端なく頑張って欲しいです。
唯一の僕の自慢は、14年間1回もスリーピングしなかったし、もう14年間ひたすら毎年、京都会議、サマコン、全国大会も当たり前に毎年行きました。

今になったら、そんな金どこにあったのか?と思うんだけれども、私ができたから出来ない人いないと思います。是非背伸びしてでもやって欲しいなと思うし、やったらやった分が卒業した後にも跳ね返ってくると思います。

質問: 「会社PR」

本業は一般貨物運送事業をテーマにして運送会社を経営しています。
24歳の時に設立をしまして、今は24年目になります。当時設立した時に、先輩である安里繁信さんにお声をかけていただいて青年会議所に入会した経緯があります。
今は従業員が約50名弱いますけども、50名になるまでもちろん私も現場に入ってましたし、いちドライバーとしてハンドル握りながらなんとか24年間続けてこれたかなという感じです。
本業以外では、今このインタビュー場所もそうなんですけど、ライブハウスと、中古トラックの販売をしています。あとは、沖縄県のモータースポーツ振興協会の理事長もさせていただいており、モータースポーツ、二輪、四輪マリンとありますけれども、そのモータースポーツのイベントをしてみたりなど、そういうことをJCを卒業した後にイベント等もさせて頂いてるところです。

https://www.okinawa-musicstage.com/