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【絆 Vol.4 OBインタビュー第55代理事長 渕辺俊紀先輩】

こんにちは!
那覇JCでは、歴代理事長の先輩方に対して、JCで学んだことや現会員に伝えたいことなどをインタビューさせて頂きました。
貴重なお時間を頂いてインタビューしましたので是非お読みください。
今回は、第55代(2017年度)理事長であった、渕辺俊紀先輩にインタビューさせて頂きました。
YouTubeでも同内容をご視聴できます。動画はこちら

質問: 「JC時代で学んだことや、JCで培ったスキルが本業でどう活かされたか」

本業で生かされると言うところでは、一つに絞ってなかなか言うのは難しいんですけども、例えば私は委員長経験もしていますので、議案の上程というものがありました。10年間在籍していたので、50回くらい上程しています。
実際の例えを一つ出すと、私が会社で恩納村に、とある施設を建てることになりました。それは何億円規模となるので、銀行から融資を受けました。その当時はこの件が新聞にも載ったので、隠すことは無いですが、2億8,000万円の融資を取り付ける時に先方から「事業計画書を出してください」と言われました。それがちょうど代表交代の時で、事業計画書なんて書いたこともなかったです。
ただJCでは議案をどんどん上げていましたので、JCの議案と全く同じ形で背景や目的、予算、JCの本則とかいろいろありますが、その通りに書いて紙ペラ一枚にまとめて出したところ、一発で通りました。
しかし、その当時にJCで同時に作っていた議案は通りませんでした(笑)
なので、JCでやっている議案作成というのは、実はどの世界でも通用する事業計画書を作るスキルを自然と身に付けていたなと思いました。
あと、本業に活かすという面ではJCは本当に情報が早いです。
よく、アメリカや東京で起きた事や流行りなどが2年後に沖縄に来るということを言われていました。
JCで情報に触れていると第一に情報が入って来ます。
SDGsというワードが昨今騒がれていますが、2016年や2017年頃、5年前くらいからJCではSDGsと言う事をずっと言っていました。なので、日本の本会に出た人はわかると思うのですが、日本の委員会の委員長とか議長が書く議案を見たら世界の最先端の情報が載ってます。
皆さんが毎月郵送で受け取っているWe Believe(JCの機関誌)を見れば、沖縄でまだ騒がれていない情報が存分に出てきます。その情報に触れることが本業の為に活きたと感じています。
あと、本業への活かし方と言うと、いろんな方面があると思いますが、私は二代目社長だったので、組織を作るためにはどういう体制を作ったらいいか?というのをJCから学んだことをそのまま本業で具現化しました。
JCでアカデミー委員会というのが入会3年未満の会員にはあると思います。うちの会社では1年未満ですが、1年未満の新入社員を集めて社長塾と言うのを作りました。その中から未来の人材になる人を一年間かけて毎年社員を育てました。そういったものをJCから得たヒントとして作っていきました。全てを語り切れないですが、すべてが本業に活きていると思います。

質問: 「JC活動において、一番心に残る思い出」

10年間JCにいたので、その年その年で結構いろんな思い出があります。
いろんな所にも行かせて頂きました。レストニアとか、モンゴルのウランバートル、インドのゴア、そこで見たもの、体験したものっていうのは全て貴重な思い出です。
JCのスケールメリットとかを活かした一番思い出深い出来事は、2020年に沖縄地区の協議会会長をした時に沖縄地区大会がありましたが、コロナ元年の年でもありました。
なかなか制限がかかる中でリアルで開催は難しいため、どうやったらできるのか?と考えました。
そういう時に他の団体は運動はできていませんでしたが、JCは縛りが無いし、予算も自分達で作る、しがらみも無いので、とにかく知恵を結集して何をしようか?と考えました。
ご存じの方もいると思いますが、当時の台湾のデジタル担当大臣であるオードリー・タンさんと対談をしました。沖縄がこのコロナ禍において観光もインバウンドゼロになって、これから沖縄の基軸とした観光をどうやったら立ち直っていけるのか?っていう事を当時コロナの封じ込みが成功していた台湾の先頭に立ってるオードリー大臣からどうやったら良いか?というご教授を頂くために対談を考えました。
そうするとそこからがJCの凄さで、JCバッジの威力やあらゆるJCのツテを使うことで、考案してから企画まで、約一カ月以内には対談実現まで行きました。JCにはあんまり不可能は無いんじゃないかな?とその時に思いました。
JCを10年間やったラストの年でそれが経験できたのは一番思い出深いです。
理事長の時に34名拡大したとか、その年その年でいろんな強烈な良い思い出はありますけど、オードリー・タンさんとの対談が一番の思い出だったと思います。

質問: 「理事長就任時は、どのような組織を目指し、どのような思いで活動したか」

2017年に那覇の理事長の職を仰せつかったのですが、当時は会員数が53名スタートという、非常に少なく、2009年に那覇で開催した全国大会を経験した人もほとんどいないメンバーでの構築だったので、とにかく拡大しないといけないという気持ちでした。
私は理事長の前の年は副理事長で、拡大担当でした。その時点で30名を集めたので、もう人脈を使い果たしました。
そこから理事長として、とにかく去年を超えないといけない!と言う思いと、30名は超えるって言う覚悟でやりました。
一番意識したこと、拡大しながら感じていたことは、今もそうだと思いますが、JCというものが知られてないという事でした。どんなに声をかけても響かなかったので、私が一番力を入れたのは自ら2012年に広報委員長をやったと言う事も関係がありますが、那覇JCってこういうものだ!っていう発信をとにかく力入れてやりました。
それまでの理事長はそれぞれ個性はありますけど、私が理事長だった時は、私自身のSNSの発信はほぼJCの事でした。トップが一番発信しないと組織の一つとしてはしてくれないしっていうのを意識しました。
あとはJCに所属してる人ってどんな人でも入っているっていうのは知っていましたので、いろんな経済人の方に会いに行きました。那覇市長のところに行ったり、いろんなツテを使って新入会員を連れて行って、「JCって会えない人いないだろ?」と伝えたりなど、そういう事をやった一年だったと思います。

質問: 「貴方にとって、JCとはどんな場所ですか」

一言で言う事は難しいんですが、例えば、レッテルというものがあります。
私はずっと名刺交換が嫌いでした。それは私が会社の二代目社長なので、いろんな集まりに行っても相手は父親や母親の話しかして来ませんでした。
それはやっぱり、私が二代目って言うレッテルがあったわけです。
しかしJCに入るといろんなレッテルの人がいます。元暴走族の特攻隊長だったとか、弁護士だったとか、登校拒否だったとかいろんな業種問わず、いろんな過去を問わず、いろんな方がいますけど、ある方の言葉ですが、JCほどコストパフォーマンスに優れた広告代理店はないんじゃないかと思います。
JCを一生懸命やってるうちにラストの年にはもう、名刺交換をしても誰も両親の話なんか私にしては来ないし、お陰様でいろんな新聞紙面に取り上げて頂いたという事もあり、もうJCの話さえしてくるし。
そういう意味でレッテルっていうのを良い意味で外してくれる。上書きをするというのを作れるのがJCなんじゃないかな?と思います。
あとは人脈です。今でも私は県外にどんどん仕事で営業とか商談をしに行っていますけど、「沖縄の企業が来たのは珍しい」とか、「沖縄の企業はほとんど来ないですよ」とか、「初めてですよ」とかそういう声をよく聞きます。JCをやっていると、全国の人達と触れ合います。沖縄という島国ゆえ、その特性なのか、中々外に出たがらないと思います。JCをやっていたからなのか、全然その辺の意識の壁っていうのは無くて、だから現在でも東京へ行き、神奈川、博多へ行き貿易事業も海外では香港や台湾なんかともやってます。JCではその辺の意識の壁を取っ払ってくれたと思います。海外のJCは本当に親友みたいな扱いになりますから、その意識の壁を取っ払ってくれたのがJCじゃないかな?と思います。そこがすごい魅力ですよね。沖縄だからこそと言うか、私達の大先輩(先祖)達って、北海道から昆布を仕入れてシャム(現在のタイ国)に売りに行く。万国津梁の時代ってそれで生きてた訳です。外に出てナンボです。JCはそれを体験させてくれる場所だと思います。

質問: 「現会員・新入会員へ伝えたいこと」

現会員に対してのメッセージでもありますが、私も新入会員だった時があります。本腰入れてJCをやってない時もありました。それは長かったからです。29歳で入会して40歳で卒業というのは、もう入った時点で諦めたくなりました。これは長いなぁと思いました。なので1~2年本腰を入れない時もあったんですけど、卒業する時に思ったのは、なんてもったいない事をしたんだと感じました。
あるところでも挨拶で話したことあるんですけど、JCをやっていると強烈なケツ(デッドライン)が物凄く来ます。この事業は何月にやらないといけない!とか、何月何日までに上程しないといけない!とか、これをクリアしてもクリアしてもどんどん来ます。
年が変わる毎に、役職が上になればなる程にその外圧というのは物凄く大きいです。
例えばよくショッピングセンターなんかで、エスカレーターを逆走している子供がいますが、あれと一緒です。もう駆け上っても駆け上っても下り(タスク)が早くなる(来る)三歩進んで二歩下がるようなそういうのをずっと経験します。
私は2020年に卒業しましたが、2021年に感じたのは、こんなに本業の仕事が早く片付くのか!と思いました。要は、仕事をこなす力がものすごく付いていました。
スケジュール管理(タイムマネジメント)などのスキルがこれだけ付いてるのか!って自分で驚いたのは今はまだ1年前のことですけど覚えています。
なのでJCはいろんな魅力があると思いますけど、先程のエスカレーターの様に、逆走する力を身に付けれるのがJCの魅力だと思っています。無報酬で鍛えられます。
組織の上になればなるほどお金を払わずにどうやって人が付いてくるか?経営者もそうですし、経営幹部など、部下を持つ人はそこは学べると思います。
ロジックだけでは人は付いて来ない。そこを学べたのはJCだと思います。なので、そういう経験を新入会員の皆さんには経験して欲しいし、これから経験するので、まだ知らない方でもそこはやってみたら分かると思うので、是非経験して欲しいと思います。中途半端にやるのが一番本当にもったいないです。
よく言うけど、太鼓と一緒で、強く叩かないと音は出ません。なので、やっぱり強く叩いて欲しいと思います。頑張って欲しいと思います。期待しています。

質問: 「会社PR」

私は株式会社ジェイシーシーという会社の代表取締役社長をさせて頂いております。
うちの会社では、”食”というものを中心にホテル、外食、食品製造のお卸しを含めて海外への貿易事業、それから健康食の宅配そういったものを沖縄の県内・県外含めて沖縄の食を発信するいうことで事業を展開しています。
1993年に会社が創業したので私は二代目になります。
2014年に代表交代をしてそこから8年目になりますけど、このコロナ禍でもダメージを受けながらも県内・県外共に攻めの姿勢を貫いて、今は奮闘しているところです。