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【絆 Vol.11 OBインタビュー第47代理事長 上原貴行先輩】

こんにちは!
那覇JCでは、歴代理事長の先輩方に対して、JCで学んだことや現会員に伝えたいことなどをインタビューさせて頂きました。
貴重なお時間を頂いてインタビューしましたので是非お読みください。
今回は、第47代(2009年度)理事長であった、上原貴行先輩にインタビューさせて頂きました。

質問: 「JC時代で学んだことや、JCで培ったスキルが本業でどう活かされたか」

JCで学んだことは、「絆の大事さ」です。あとは、仲間意識など、会社で活かせているのはそれかな?と思います。
「当事者意識」これを会社の中で芽生えるように経営に活かしています。

ウチの会社は完全にJCみたいで、国家を歌って、JCソング歌って、JC宣言を言って、理事長の挨拶があって・・・うちの会社もそうなんです。

社歌を歌って会社の社是社訓、経営信条を言って、それから社長の訓示が始まって、事業企画の目的とか、会議の議案書の順で進行するんです。逆に、JCに長くいたからこそ、その方を会社運営に取り込んだ方が効率的だと思ったんです。

JCで学んだことが、経営に生かせているといったところです。

質問: 「JC活動において、一番心に残る思い出」

GTS(グローバルトレーニングスクール)です。2000年代ぐらいかな?

90年代後半くらいから2000年代の初期ぐらいの間に、日本JCの事業でした。

ブロックが受け入れ窓口で、それをLOMが日本JCの事業と共同事業をするっていうような感じだったと記憶してますが、その時僕は、那覇の担当だったんですが、『モンゴルのマンホールチルドレンの支援活動』に行きました。
当時はまだ沖縄でマンホールチルドレンの存在自体があまり知られてなくて、そういう環境下にいる子供達の存在があることも当時私は知りませんでした。

彼らを支援しようという事で、モンゴルに飛びました。

当時はモンゴルが資本主義国家に変わって間もないぐらいの時代で、JCIモンゴルも、立ち上がって4~5年ぐらいしか経ってなかったから、JCで何か国家の問題に取り込もうとしても、JCの立ち上げだけで精いっぱいで、マンホールチルドレンや国家問題とかに手が回らなかったです。

そのような他の国の国家問題を支援しようという事業でした。


モンゴルに行くと、凄く汚いマンホールの中に子供たちが住んでいました。

なんでマンホールの中で暮らしているのかというと、モンゴルは寒い国なので、国がお湯を作って地下の温水管を通してその温水を家に引いて、それで暖を取るという国なんです。だから、マンホールの中が温かいんです。マンホールの外で夜を過ごすと凍え死ぬので、マンホールの中で過ごしていました。不衛生なところで「先週14歳ぐらいの女の子が子供を産みました」みたいな感じの状況でした。

この子たちは親がいないので、食べていく為に盗みをしたりとか、日本円で言ったら2,000~3,000円くらいで女の子は体売ったりとか、そうやって暮らしていました。

また、マンホールの中には大人もいて、お金を稼いで来ないとマンホールの中に入れないって言っていたりもしていました。当時のモンゴルはそうやって生きて行くしかないような状況がある国でした。


その子供たちを隔離してるシェルターみたいなのがあったので、私たちはそこに行って支援活動をしました。

『椅子を作ったり、机作ったり。勉強をするための道具をあげたり』とか。

日本ではありえないと思う環境を目の当たりにすると、自分が何不自由なく普通に生きてること、

自分っていう存在自体はなんだんだろう。と思うようになって。

日本という国がいかに豊かで澄んでいる国なのかっていうのをすごく感じた瞬間でしたね。


僕にとって凄く衝撃的で何かスイッチが入ったきっかけだったと思うのですが、

そこからJCに対して真面目に取り組み始めました。

「JCの常識は世の中の非常識」とよく言うんですが、良いも悪いも自分の置かれてる環境をいかに非現実的な世界に置くかで多分人間って成長すると思います。

私は多分あの時に一週間だけだったけど、本当に非現実的な世界に行かされて、自分というものがいかに小さい者で、恵まれたところにいるんだなというのがわかって、そっからJCに対して打ち込み始めたんじゃないのかな?と思います。


その後に沖縄で全国大会があり、この僕が体験した経験が、その大会に情熱をもって携われたと思うんです。

多分その当時の2000年に居た頃のメンバーみんな同じ気持ちだったんだと思います。

質問: 「理事長就任時は、どのような組織を目指し、どのような思いで活動したか」

私は2009年の理事長で、その年は全国大会もありましたが、那覇JCが安里繫信という会頭を出した年でもありました。この安里繁信先輩が全国ですごいカリスマな会頭であり、那覇がお膝元であったため、那覇の会員が秩序を崩さないかどうかと管理することで精いっぱいで。

非常に神経を使い、生きた心地がしませんでした笑

安里繁信のお膝元である、那覇JCで何かかあったりすると、安里繁信という会頭の言葉が全部嘘になってしまい、全部が偽物になってしまうんで。

とにかくこの一年だけは、何も起こさないように、「何もするな」と伝えましたし、定例会の後の懇親会もやらない、一切酒とか出さないというように徹底しました。
なのであの年は、松山という街からJCが消えた年だったと思いますね笑

みんな定例会の後は資料作りで夜11時か12時くらいまで会館にいました。各委員会がミーティングをする場所の取り合いで大変でしたよ。

質問: 「貴方にとって、JCとはどんな場所ですか」

仲間がいて、自分を伸ばせる場所です。仲間がいなければ自分は成長しなかったと思います。

質問: 「現会員・新入会員へ伝えたいこと」

現会員に対しては、やりたいことを精一杯悔いのないようになったらいいんじゃないかな?と伝えたいです。

ただ、あまり真面目すぎると型にハマりすぎて面白みがないと言うか、JCでちゃんとやらなきゃいけないのは分かるんだけど、それが過ぎるとなんか面白みがないかなと思います。

私が現役の時はメリハリ付けてやっていたので、社会的に表向きやるとこはしっかりやるけど、仲間内では朝まで飲んだくれてボロボロでしたね。

ただその中にいろんな絆が生まれたり発想が生まれたり、遊びの中から余裕とかが生まれて、事業に活かしたり、活動に活かしたりしていたので、ガチガチ過ぎるとあんまり良いものはできないのかな?と言う気はします。

偉大な先輩たちが那覇にはたくさんいるので、みんながガチガチになっちゃうんだけど、そうある必要はないのかな?と言う感じもします。


新入会員に対しては、まずはいろんな事に参加することだと思います。

もし「この活動はちょっと・・・」と言うのが出てきたら、それがその人にとって非現実的な社会だからあえて飛び込んだ方がいいと思います。

これから入会しようと考えている方々に対しては、JCは20歳から40歳までと、年齢制限あるんで、

その中でいろんな経験ができるかどうかのチャンスを与えられています。私はもう40歳を過ぎているので、もう1回させてくれと言っても、もう入会させてもらえないので、まずは入ってみて、やってみて、合わなければ辞めればいい話です。

40歳まで必ず拘束されて、居ないといけないという話では無いので、合う合わないがあるかと思いますが、まずはやってみて、合わなければ辞めて良いし、まずは飛び込むことだと思います。

質問: 「会社PR」

本業はLPガスの販売業です。水の宅配業とゴルフウェアのショップ経営をしています。